車の板金塗装、車のきず・へこみの修理なら佐藤自動車へ【東京・神奈川】

車の板金塗装・車の修理なら佐藤自動車【東京・神奈川】

知って得する板金塗装

心と技術でお客様を笑顔に!佐藤自動車の思い。

心と技術でお客様を笑顔に。

なぜこの言葉が生まれたのか。

佐藤自動車はどういう思いで修理をしているのか、
どういう思いでお客様に接しているのか、

その原点とは!

代表 佐藤の生い立ち

代表の
佐藤 政男(さとうまさお)です。

私は1979年12月12日に生まれました。

そして
自動車板金塗装の技術者である「父」(現会長)と「母」に育ててもらいました。

佐藤自動車の創業は
1991年の4月。私が小学校6年生になったばかりの春です。

当時の私は
父の仕事がどんなことなのか、何をしているのか、誰の役に立っているのかなど全く分からずに暮らしていました。

 

ただ
その頃の父への記憶は仕事中の「怖い顔

 

これが後になって、
その「怖い顔」の意味がわかるのです・・・。

高校2年生 夏の決断

私は高校をやめることになります。

全ては自分の決断。

 

辞めるのを止める「母」に受け入れる「父」

 

私は高校を2年で中退し
今とは違う職種の技術者として働き始めます。

 

朝6時15分に起きて
まだ薄暗い朝に家を出て1時間かけて仕事場に向かい、夜7時30分に帰宅するという生活。

 

技術者の世界を知ることになった17歳

ちがーう!
何度言ったらわかるんだ!
もういい!

最後は
何も言わずに、目も合わさずに、手で払いのけられる。

 

怖い顔」!

父の元で働くことになるなんて!

18歳で車の免許を取得しその翌年には佐藤自動車に入社。
お手伝いと言った方が適切かもしれません。

 

父の元で働くなんて絶対にないと思っていた私が
車の免許をとったらすぐに、自ら望んで父親の手伝いをすることになるなんて思ってもいませんでした。

 

私の父(現会長)は
技術に絶対の自信を持ち、揺るがない思いが人一倍ある技術者です。

 

私が教えてもらっていた時は、

ちょっと見てろ
やってみろ
ちがーう!」と

 

厳しく教えてもらいました。

 

そうです。
あの小さい頃から記憶にある「怖い顔」です。

しかし、
その「怖い顔」の私のイメージがどんどん変わっていくのです。
一緒に仕事をしてみると「怖い顔」ではなく「真剣な顔」なんだということに!

 

ここで初めて気付く事ができたのです。

 

  • お客様の大事なお車を
    お客様以上に大切に思うと「真剣な顔」になる。
  • 家族を守るためにと
    一生懸命仕事をしようと思うと、「真剣な顔」になる。

 

これが、
小さい頃の私には「怖い顔に見えていたのです。

 

技術者の世界に入った時に言われた

「ちがーう」
「何度言ったらわかるんだ!」
「もういい!」

 

最後は
何も言わずに、目も合わさずに、手で払いのけられた

 

あの「怖い顔

 

あの「怖い顔」も仕事に「真剣」だからこそなんだと今なら思えるのです。

 

高校を中退し
今とは違う技術の世界に入ったこと、父以外の技術者と接することが出来たこと、
遠回りだったかもしれませんが・・・。

 

でも
この遠回りをしなければ

 

父と同じように
お客様のお車をお客様以上に大切に扱い「真剣な顔」になることも
スタッフのことを思い「真剣な顔」になることも
妻と子供を守るために「真剣な顔」になれることもなかったのではないかと思うと、この遠回りも良かったのだと今は思います。

 

人から見たら
少し外れた道だったかもしれませんが・・。

2002年の技術大会

当時私が入社3年〜4年の22歳の時に
自動車板金塗装の技術大会に参加しました。

 

最初は全く興味がなかった私に

父が

参加しな、大丈夫だから」と一言

 

実は興味ないのではなく、興味がないふりをしていました。

 

まだまだ父の技術力には到底及ばない私は、他社の技術者にも劣ると思っていました。
負ける事がわかっている勝負には怖くて出る気になれなかったのです。

 

でも父からの

大丈夫だから!」の一言

 

何が大丈夫なの?
とも思いましたが出場することになります。

結果は

負け。

 

まだまだ技術者としては半人前だと思っていた私でもこの結果にはかなりショックを受け、大会後はまっすぐ家に帰れなかったことを覚えています。

 

半人前だと思っていたのになぜショックを受けたのか

 

それは
参加した他社の技術者が父と比べるとあまり上手に見えなかったのです。

 

これなら優勝することが出来たんじゃないのか?
もしかしたら、自分って半人前ではないんじゃないのか?

 

こんなふうに思うと

 

  • あそこでミスをしなければ!
  • あそこであの工具を使って入れば!
  • あそこでいつも使っている材料を使っていれば!

 

などなど

たくさんの後悔がありショックを受けたのです。

技術大会の後

技術大会後の自分は別人でした。

 

自ら、夜遅くまで働き、
月に1度か2度しか休まない。

 

父が休めと言っても休まない。
休むなら仕事している方が楽だったのかもしれません。

 

こんな生活が数年続いた2008年
技術大会がまた開催されるという報告が!

あのショックを受けて立ち直るのに時間がかかった、あの大会が開催されるのです。

 

今度は自ら
参加する」と父に告げた私

今度の父の言葉は、
優勝できるよ!」でした

 

この6年の間に私の評価が
恥をかくことはないよの「大丈夫!」から「優勝できるよ!」の一人前の技術者への評価と変わったのだと思います。

 

結果は

 

優勝!

 

父の言う通りでした。

 

表彰式の壇上で父に感謝の気持ちを伝えました
涙が出ました。

 

多分父も同じ気持ちだったでしょう。

 

いや
私より父の方が嬉しかったのではないでしょうか。

 

父親になった今ならそう思います。

技術力だけではお客様を笑顔に出来ない。

もっともっと技術力を高めよう!
そうすればお客様は満足してくれるしもっと喜んでくれる。

 

それが自分の喜びになると思っていましたし、それを幸せと感じていました。

 

しかし
それが勘違いだとお客様の言葉で気付かされたのです。

 

「車をぶつけて悲しい気持ちになったけど皆さんの笑顔で元気になりました。」

この言葉をもらった時
心の底が熱くなるような思いになりました。

 

夜遅くまで技術力の向上に励み、休みも返上して高めてきたこの技術力を褒められるより
皆さんの笑顔で元気になりました!

 

この言葉が
何倍も何十倍も嬉しかったのです。

 

なぜだ?
頑張ってきた技術力を褒められるよりこんなに嬉しいのだろうか?
何でこんなに胸が熱くなるのだろう?

 

その答えは簡単でした。

 

この感覚に気づけた私は本当に幸せものです。

笑顔が始まる場所

自動車の板金塗装というのは
キズや凹みができてしまった車を元通りにする仕事です。

これは マイナス を ゼロ にすることです。
いくら技術力を向上させ完璧に修理しようと マイナス が ゼロ になるだけなのです。

 

車が綺麗に戻ってよかった。ありがとう
マイナス が ゼロ になっただけの笑顔

 

「車をぶつけて悲しい気持ちになったけど、皆さんの笑顔で元気になりました。ありがとう」
マイナス から ゼロ が プラス へと変わっている、この笑顔

 

全く違うのです。

 

車を綺麗に元に戻すだけではこの笑顔はいただけない。
心まで笑顔にする事

 

板金塗装というお仕事は
車を綺麗にするだけではないんだ!お客様の心まで癒すことなんだ。

 

技術力があってこその事ですが
この事に気付かせていただいたお客様に心より感謝いたします。

心と技術でお客様を笑顔に。

これが
佐藤自動車のミッションです。

 

心と技術でお客様を笑顔に。

 

佐藤自動車を笑顔の始まる場所にする。
私たちの心と技術でお客様を笑顔にし、お客様から次の人へと笑顔が巡る。そんな修理工場でありたいのです。

 

スタッフみんなで考えたミッションです。

 

  • 思いやりのある接客で笑顔
  • 思いやりのあるご提案で笑顔
  • 思いやりのある技術で笑顔

 

心と技術でお客様を笑顔にしたい。

そんな会社であり続けたい。

最後に伝えたい感謝の言葉。

技術者としての基礎と心構えを教えてくれて仕事を任せてくれた「父」

笑顔でいる事や人を思いやることを教えてくれた「母」

 

そして今、私を支えてくれている妻
学びをくれる子供達。

 

本当にありがとう。

 

 

最後に

みんな
いつもありがとう。

力を貸してくれてありがとう。

 

心と技術でお客様を笑顔に。

(Last Update:2018年3月8日)